受験シーズンに宿がない。 では昔の参勤交代の時はどうやって宿をとっていたのか。
ニュースで受験生が宿泊する宿がないとの記事が目に留まりました。
どうやら人気音楽グループの公演や国家試験日程とも重なったことが原因のようです。
受験生に宿泊施設は試験結果に大きく左右する要因となるでしょう。
部屋がないから寝袋を持って野宿というワイルドな行動は限りなくこの場合は推奨出来ません。仮に空いていたとしても喫煙部屋であれば軽い拷問に感じるかもしれません。
だったら受験を受けることが決まった段階で宿も押さえておけばいいと考えますが、センター試験の結果での志望校変更や家庭のお財布事情でなかなか思うように事前予約が出来ないのかもしれません。
ただ今回の件を変に学習して来年は手当り次第宿は予約しておいて、必要ない宿をバンバンキャンセルする受験生の親が出ないかは危惧してしまいます。
来年の心配はさて置き、これだけインフラが整った現代でも宿泊する宿探しが困難だとしたら、江戸時代に大量に宿泊者が出る参勤交代の時などはどうやって宿を押さえていたのか、先人の知恵に興味が湧き調べてみました。
参勤交代とは、各藩の藩主を定期的に江戸に出仕させる江戸幕府の法令のことである。参勤交替、参覲交代、参覲交替などとも書く。
参勤交代は人数は約300~4,000人だったようです。
現在では4,000人の団体旅行はなかなかありえない規模です。
はとバスが89台の団体です。
今の時代でも100人の団体客の宿を押さえるのは困難ですが、江戸時代に4,000人の宿泊場所をインターネットも電話もなく確保するのは至難のように感じます。
大名様だからといっていく先々でその場その場で宿を見つけてはすでに宿泊している客から強引に宿場を奪うような破天荒な荒業はしないだろうし、そんな無計画な訪問をされては宿場も食料が足りない事態が発生してしまいます。
なにかと話題のアパホテルが2,400室のホテルを建設予定ですが、これでも参勤交代の部屋数は1棟では足りず、2棟必要になる規模です。
出展:アパグループ 日本最大2,400室の大型タワーホテル 建設計画を発表 | 【公式】アパグループ
では参勤交代ではどのようにして宿場を予約していたかというと以下となります。
まず旅行に先立って宿舎や人馬の手配をするために、あらかじめ宿場に「先触」(さきぶれ)といって通達書を出しておきます。これを受け取った各宿では、宿の割り当てや人馬の手配をしておかなければなりません。
実際の旅となると、行列から先行するかたちで宿割りを担当する家臣らが宿場におもむき、本陣や宿場の入り口に関札を高く掲示します。この関札は、これを掲げた以上、いかなる大藩もいっさい宿泊を許さないという厳重なものでした。
大名は本陣に泊まりますが、その家臣らは宿内の旅籠屋に分宿し、時には周辺の寺院も使うこともありました。1つの宿場ですべての人員を収容できない場合は、前後の宿場に分散して泊まることもありました。
出典:宿場では、大名行列のような大人数をどうやって泊めたの?
制度として宿泊場所を優先的に押さえられる仕組みがあったようです。
「関札」を掲げた宿泊施設には他の藩は宿泊が出来ません。
これは大名行列の藩のみが優先的に宿泊出来ることと同時に他の藩とのいざこざを避けることも出来る効果があります。
この制度で大名は宿泊場所を確保出来たと思われますが、優先順位付けをしただけで宿泊施設のキャパ自体が人数に合わせて増えるわけではないので地位が下の人たちは野宿もあったと思われます。
参勤交代は幕府の制度であり優先度は高いためこの仕組みが成り立っていました。
では現代ではこの問題をどうすればいいでしょうか。
受験生とコンサート客と国家試験受験者。
どれかを優先付してしまうともう一方が、それは違うだろがー。と声を荒げる。
だからそのレベルで議論をしてはいけません。
受験には受験会場が必要です。これは当たり前のことでこれを拡大して遠方者には宿泊施設を提供すると決めればいいのです。
宿泊施設を国が用意するとなると、「なぜ国の予算で支払うのかー。」「国民の血税をそこに使うのかー。」「遠方とは何キロなんだー。っ」て言う人たちも現れるので国や県の予算で宿泊費を賄うのではなく運営費だけを賄うようにすれば問題ありません。
例えばセンター試験を実施している文部科学省管轄の「独立行政法人大学入試センター」が運営をすればいいのです。
宿泊費用の負担は行わず参勤交代のように予約システムを確立する方法です。
現状の個人個人で宿泊施設をとる場合、隣の客がうるさい場合には集中して勉強することも安心して寝ることも出来ません。
受験生が団体で宿泊する仕組みが出来ていれば、さすがに試験前日にどんちゃん騒ぎをするケースは少ないはずです。
受験生全員がベストコンディションで試験に臨めることを願います。